BE:YOND 2023 セッションレポート「データに基づき未来に向けて意思決定を行う―アステラス製薬のDXに迫る」
講演者
アステラス製薬株式会社
情報システム部長
須田 真也氏
ビジネスエンジニアリング株式会社
執行役員 ソリューション事業本部 副事業本部長
宮澤 由美子
講演タイトル
「アステラス製薬の描く未来 データに基づく経営のための基盤とは」
変化する医療の最先端に立ち、科学の進歩を患者さんの「価値」に変えることをビジョンとして掲げるアステラス製薬。システム基盤だけでなく、人づくり、ビジネスモデルづくりと、デジタルトランスフォーメーション(DX)を総合的に推進している。ここでは、2023年2月16日に開催されたビジネスエンジニアリング(B-EN-G)主催の年次イベント「BE:YOND 2023」のスペシャルセッションの講演内容から、同社が掲げる「データに基づく経営」と未来への展望を紹介する。
グローバルでERPを統一し、DXに取り組むアステラス製薬
今回のスペシャルセッションでは、B-EN-Gの執行役員 ソリューション事業本部 副事業本部長の宮澤由美子が登壇した。アステラス製薬株式会社(以下、アステラス製薬)情報システム部長の須田真也氏をゲストに招き、「アステラス製薬の描く未来 データに基づく経営のための基盤とは」をテーマとする講演が行われた。
アステラス製薬とB-EN-Gの関係は約30年になる。アステラス製薬は1993年にSAP ERPを導入し、そのときに支援したのが始まりだ。最初は標準化や規制対応などで、その後に製造領域やデータ解析領域でも支援を行っている。
講演の冒頭、宮澤は「本日はアステラス製薬の須田さんから、ERPのことやアナリティクスに関することなど、さまざまな取り組みを紹介していただきます。アステラス製薬は国内だけでなく海外拠点も含めてグローバルでERPを統一するなど、プロダクト・ライフサイクルに応じてDXに取り組まれています。現在から未来に向けた取り組みは、ご来場の皆さんの参考になると思います」と挨拶した。
デジタル革新を加速して科学の進歩を患者さんの「価値」へ変える
アステラス製薬は、2005年4月に山之内製薬と藤沢薬品工業が合併して発足した、東京に本社を置く製薬会社だ。医療用医薬品の研究・開発および製造販売に取り組み、グローバル企業として世界70カ国以上で事業を展開している。売上は約1兆3,000億円で、その内の約20%を研究開発費に充てている。現在アステラス製薬は最先端の「価値」主導型ライフサイエンスイノベーターになるべく、経営計画2021で掲げた「戦略目標」「組織健全性目標」「成果目標」の3つを達成しようと目指している。
須田氏は「目標達成の要となる取り組みの1つがDXです。デジタル革新を加速して、科学の進歩を患者さんの『価値』に変える、つまりワールドクラスのインテリジェントエンタープライズ(最新テクノロジーを活用することでベストな事業運営を実現する企業)になることがDXを推し進める上での目標です」と話す。
DX実現に向け、デジタルとデータを軸とした4つの価値の源(センス、アナライズ、オートメート、エンゲージ)に、自社に蓄積されたサイエンスの知見を加え、競合優位性を獲得しようと計画している。センサーなどを活用したデータ収集・分析による意思決定の迅速化や自動化による業務の高速化、高品質化といった価値と、アステラス製薬ならではのナレッジを掛け合わせて、他社にはないDXを推進していくのだ。また、人とデジタルのベストミックスも重要なアプローチの1つである。デジタルが得意な分野はデジタルに任せ、人にしかできない価値の創造に注力していく。
「製薬業界では、創薬から開発、製造、そして販売といったバリューチェーンの中で膨大なデータを取り扱っています。製薬業界は製造業ですが、情報産業といっても過言ではないでしょう。ただしどれだけデータがあっても、それを安心して利用できる環境でなければデータ活用は実現できません。攻めのDXを推進するためには、守りのDXである情報セキュリティが欠かせないのです。またバリューチェーンを回すのは人であり、社内にどのようなタレント(特定知識の保有者)がいるかの把握も必要です。もちろんデータ駆動型経営を支える基幹業務プラットフォームとアナリティクスが重要なことは言うまでもありません」(須田氏)
DX実現に向けたアステラス製薬の3つの取り組み
アステラス製薬ではDX実現に向けたさまざまな取り組みを推進している。B-EN-Gに関連する取り組みとして須田氏は(1)社内タレント検索システム「Aha! Experts」(2)地域・機能を超えた基幹業務プラットフォーム「Apple」および(3)安全供給を可能とするデータマイニング「DAIMON」の3つの事例を紹介した。その詳細は次の通りだ。
(1)社内タレント検索システム「Aha! Experts」
どの会社にも隠れたタレントが社内にいるはずだが、当該人物の存在が社内で認知されていないことは多い。この問題を解消するためのシステムがAha! Expertsだ。これは文書検索エンジンを活用したもので、例えば「イラストを描くのが得意」や「認定資格を持っている」など各々の特技や特性、経験などを登録してもらうことで、プロジェクトに必要な人材を容易に検索できるようにしている。組織を越えた弱いつながりで世界中の人と人を結ぶことで、イノベーティブな組織を実現していくのだ。現在、日本国内外にいる約1万4000人の従業員のうち、約1,300名がAha! Expertsに登録している。
(2)地域・機能を超えた基幹業務プラットフォーム「Apple」
Appleは、製造関連を除くSAP ERPのSAP S/4HANAへのアップグレードと、グローバルでの統合を実施したプロジェクトである。データの資産化や外部環境の変化に対する柔軟性の向上、業務全体の効率化、ビジネスのリスク軽減に向けたシステムの複雑さの解消などを効果として目指している。
2016年にスタートし、2017年にグローバルテンプレートをデザイン、2018年にIBP(統合ビジネスプランニング)、HRデータベース、タレントモジュールなどを導入した。会計や調達などは2020年から米国や欧州、日本で順次稼働し、2023年4月にアジア太平洋地域および中国に導入してプロジェクトはいったん終了を予定している。
(3)安全供給を可能とするデータマイニング「DAIMON」
DAIMONは2013年に検討を開始し、2015年に開発がスタート、2018年より稼働しているシステムだ。より良い品質の医薬品を患者さんに届け続けるため、モノづくりの現場へ最先端のデータ管理・解析を適用するために導入された。当初こそ現場からの歓迎度は必ずしも高くなかったが、担当者の熱意で徐々に利用が拡大し、現在は対象製品や導入工場を増やしている。
コーポレート部門のグローバル化に伴いSAPプロジェクトが始動
講演の後半では、須田氏と宮澤の対談が行われた。ここからはその詳細を以下に紹介しよう。
宮澤 ここまで、DXの取り組みにおける全体像や各システムをご紹介いただきました。2016年よりAppleをスタートしているとのことですが、最初にお聞きしたい点として、Appleプロジェクトを形作っていくためにどのように組織作りをされてきたのでしょうか。
須田 経営層にSAP ERPをSAP S/4HANAへ変えたいと話したのは2014年でした。そのときは実現しなかったのですが、数年後にコーポレート部門の業務と組織のグローバル化を進めるという話が出てきて、SAPのバージョンアップとグローバル統合も同時に進めることがその時に決まりました。
SAP ERPをSAP S/4HANAに変えることを検討しているが経営トップに受け入れられない、ビジネス部門に理解されないなどの悩みを抱えている企業は多いと思います。アステラス製薬では、システム構築プロジェクトではなく、コーポレート部門のグローバル化や意思決定の早期化という組織統合プロジェクトの一部としてSAPプロジェクトを組み込みました。それが大きなポイントでしょう。
アステラス製薬では2008年ごろからグローバル化を推進しています。しかし、システムが地域別に分散していたため、経営トップに提出するレポートを作成しようとしても、まず各地域のシステムからデータを収集し、そこから加工、分析しなくてはなりませんでした。また、ほしいデータが取得できない、精度が悪いなどの課題がありました。
新しいシステムを導入することに対する現場の抵抗もありました。ただしそこに関しては「これはシステム構築プロジェクトではなく5年後10年後のオペレーションのあり方につながるプロジェクトである」というメッセージを経営企画部や役員からトップダウンで繰り返し出してもらえました。このプロジェクトが組織を1つに統合するためのものだったからです。
維持管理、運用のための新しい組織づくり
宮澤 システムをスタートしたあとよく耳にするのは、機能を標準化することはできたがデータがそろっていないためにサプライチェーンがつながらない、という話です。データの維持管理、運用を設計するうえでの取り組みをお聞かせください。
須田氏 アステラス製薬では、マスターデータを1つの部署で管理するのではなく、地域ごと、機能ごとに分散して管理していました。そのため、マスターデータをグローバルで管理することは組織の変更なしでは困難でした。こういった状況を受け、グローバルにまとめるところとローカルのままにするところを明確に分けて、その上で新しい組織を作りビジネスを進めています。
システムの切り替え、ビジネスの変革、組織の変更の中で最も簡単なのはシステムの切り替えです。システムの切り替えは進んでいますが、ビジネスの変革や組織の変更は今後の課題としてまだ残っています。2023年4月にシステムの切り替えが終わった後は、ビジネスや組織のさらなるグローバル最適化に取り組みます。
宮澤 ERPをグローバルで導入し、統合して、オペレーションしていくことで、今後起きる変更管理やデータ共有などもグローバルで運用・管理できるようにするということですね。
須田氏 変更管理は結構大変で、アステラス製薬ではデザインオーソリティボード(DAB)という部門横断チームを立ち上げることで対応しています。グローバルでやるべきことかそれともローカルのままでよいかをDABが判断し、既存の環境を維持しつつも、ビジネス環境の変化にあわせて進化していけるように変更管理を運営しています。
データの重要性の啓発には現場や経営層も巻き込んだ
宮澤 安定供給を実現する仕組みとしてDAIMONを紹介してもらいました。製品ごと、工場ごとに展開しているそうですが、現場をどのように巻き込んで成果を上げているのでしょうか。
須田氏 新しい医薬品を研究・開発していくことは製薬会社にとって大きな役割ですが、それ以上に、安心して服用してもらえる医薬品を安定して届け続けることこそが最も重要な使命です。それはデータなしには実現できません。何かトラブルが起きてからデータをさかのぼって探していたのではとても対応が間に合いません。
せっかくデータを蓄積できるので、常にデータを活用できる状態にしておき、何か起きそうなときにはデータで予兆を見つけ出せる、計画的に対応できる環境にしています。計画的に対応できれば、何かが起こったとしても焦ったり間違ったりすることを防げ、医薬品の安定供給に影響を及ぼすこともありません。強い思いを持っている担当者が、現場の人たちや経営陣も巻き込んで啓発を続けました。
レポートは人間が作るものなので、良し悪しに関わらず解釈と選択が入ってしまいます。しかし生のデータはそういったバイアスがかかっておらず、それを活用すればより正確な分析が可能です。現場の方々は徐々にこの事実へ気づき、DAIMONの必要性を認める人数も指数関数的に増えていきました。それが1つの製品、1つの工場から複数の製品、複数の工場へとつながっていったのです。
データを活用しつつもデータに騙されないように
宮澤 最後に、今後どのようにDXを進化させていこうと考えているか、展望をお聞かせください。
須田氏 クリスチャン・マスビアウ著の『センスメイキング』(プレジデント社)という本があります。誤解を恐れずにひとことで表現すると、「データは薄っぺらいから騙されないで」ということを伝えています。データは何かの結果ですが、そのデータの背景に想像力を働かせずに「データがこうだからこうです」としか言わないのであれば、人が対応する必要はありません。
なぜ昨日と違うのか、なぜこの結果なのかなど、興味を持って想像力を働かせる。また、データが発生している現場のことを思い、必要であれば現場に行き、見て、聞いて、さらに想像力を膨らませて自分がそこにいるかのようにデータを理解することで、初めて正しい意思決定が可能になります。データを活用しつつもデータに騙されないことが重要です。
経営トップから「デジタル化で何ができるのか」と聞かれたときに私は「幽体離脱ができます」「タイムマシンに乗れます」と答えたことがあります。「幽体離脱できます」とは、オンライン会議などで距離を越えてコミュニケーションしたり、VRなどで現実には行けない場所に行ったりできるということです。一方の「タイムマシンに乗れます」とは、データを使うことで過去の事象を再現・検証できる、シミュレーションにより予測ができる、予測をもとに仮説を立てて意思決定ができるということです。
過去のデータで現在を判断するのではなく、現在までのデータからその先にある未来に向けて意思決定するのが、データに基づく経営だと思っています。そこには未来を過去から現在までの延長線上としない意思が必要だと考えます。AIだけによる判断に人生は預けられません。AIの判断に人の考えが加わって意思決定をするからこそ人がついてくるのです。「未来を予測する最も簡単な方法は未来を自分で作ることだ」という言葉もあります。そのためにデータを活用し、自分が望む未来を自分で創造しましょう、というのが私からのメッセージです。
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