「BE:YOND 2025」は、製造業に特化したイベントとして2004年より開催されてきた年次イベントだ。最初に行われたKEYNOTE1講演では、ビジネスエンジニアリング株式会社 代表取締役社長の羽田雅一をはじめ、SAPジャパン株式会社 代表取締役社長 鈴木 洋史氏、日本マイクロソフト株式会社 代表取締役社長 津坂 美樹氏、慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科 教授 白坂 成功氏の4名が「日本の製造業がDXをどのように実現すべきか」をテーマにディスカッションを行った。
冒頭、羽田は「日本の製造業の競争力低下が指摘されるが、その要因の一つにIT化、デジタル化の遅れが挙げられます」と指摘した上で、「しかし、製造業におけるサプライチェーンのデジタル化がかなり進んだのではないかとみています」と挨拶した。
コロナ禍を経て、製造業のサプライチェーンマネジメント(SCM)の取り組みは進んでいる。そのことを踏まえ、羽田は「SCMソフトウェアの売上推移を見ると、2020年から2023年の4年間で売上は伸びており、一気にデジタル化が進んでいると見ています」と話す。
では、「デジタル化の質」という意味ではどうだろうか。製造業の中には、IoTや設計・製造連携など、競争力強化を目的としたデジタル化へ移行している企業も増えている一方、「DXはデジタル化から先の段階にあり、デジタル技術を活用してビジネスモデルを変革する段階に至った企業は、グローバルでもまだ多くないのが現状です」と羽田は話す。そんな折、生成AIのブームもあり、多くの経営者はデジタル化の進め方に悩んでいるのが現状だ。
羽田の話を受け、鈴木氏は「日本の製造業は現場が強いと言われ、現場を中心に効率化が進んできました。しかし、部門内での効率化の仕組みが『部門最適』になっており、『マスターデータが統一されてない』、『売り上げの定義が統一されていない』ということがあり、データが全社で連携され活用されていない現状がありました」と説明する。
そこで、SAPをはじめとするERPを導入し、効率化やデータ活用に成果を出している企業もあるが、「まだまだパッケージソフトを、現状の業務にあわせて導入している企業が多いのが実情です」と鈴木氏は話す。その結果、本来目的としていた業務の標準化に至らず、個別のカスタマイズが増え、それに伴う運用コストの増加という結果を生んでいるのではないかということだ。
さらに白坂氏は、「ここまでの日本のデジタル化の取り組みは、競争力確保の段階には至っておらず、やや出遅れの感があります」と話し、「生成AIの登場でこれまでできていなかったが、これからできるようになる『テクノロジーの転換期』を迎えています。これは、製造業の変革に向けた大きなチャンスであると期待しています」と語った。
「トヨタでは、エンジニアや工場作業者が『Microsoft Power BI』などのローコード・ノーコードツールを使って生産プロセスの効率化に取り組み、最近では現場で生成AIを活用してより高度な業務改革を目指しておられます」(津坂氏)
さらに、トヨタ自動車は生成AIエージェントとして、「O-Beya」(オーベヤ)を開発し、AIに過去の設計図やデータを学習させ、先輩エンジニアの知識や経験を継承する仕組みを構築しており、「O-Beyaで若手エンジニアが先輩社員に教えを請うように、数百名のエンジニアが効率的に知識を吸収し、作業の質向上に取り組まれています」と津坂氏は話した。
このようにAIエージェントの活用は急速に拡大しており、匠の技術継承にAIを活用する新たなモデルとして、「今後も日本の製造業でこうした事例がどんどん出てくるのではないかと我々は見ています」と津坂氏は述べた。
この話を受け、羽田は「かつての日本には“ワイガヤ”という言葉があったが、今のデジタル技術で、アナログ時代の“ワイガヤ体験”を超えることができるのか」を津坂氏に質問。津坂氏は「テクノロジーソリューションの成功は、コアのアルゴリズム、例えば大規模言語モデルが占める割合が10%、20%がインフラ、残りの要素は組織にあります」と指摘する。
「優れたツールの導入だけでなく、業務プロセスや組織文化の変革が不可欠です。特に日本では、リーダーが新しい働き方や開発・営業・財務分析の環境を整備しなければ、良質なデータも活用されずに埋もれてしまうリスクがあります」(津坂氏)
テクノロジーへの関心と同時に、組織や人材、カルチャーの改革も重視することが成功の鍵となるということだ。
一方で鈴木氏は、ERP導入の効果を高めるためのアプローチについて言及し、「SAPのERPはクラウド基盤が一般的で、定型業務はほとんど標準化する前提で製品開発をしています。そして、ERP導入の効果を高めるためには、クラウド基盤とAIを活用し、標準機能を最大限に生かす『クリーンコアのアプローチ』が重要です」と強調する。
インドや東南アジアでは数カ月でのスピーディなERP導入が一般的だ。その点、日本では期間とコストが2~3倍かかる上に、生産性向上にはつながっていない現状がある。「そこで、ローコード・ノーコードツールを使い、標準機能を維持しつつ拡張機能で個別要件を満たす“サイドバイサイド”による開発手法が、日本でも進展しつつある状況です」と鈴木氏は語る。
例えば、日立ハイテクの事例では、「SAP S/4HANA® Cloud」のコアをクリーンに保つために「SAP® Business Technology Platform (SAP® BTP)」による拡張開発を活用した。これにより、2000年代前半に導入したERPでは約9000本のアドオンを使用していたものが、800本強までと約9割を削減することに成功している。
「日立ハイテクでは、コアをクリーンに保ちながら拡張機能で個別要件を満たす“サイドバイサイド”手法を実現したことで、従来、約22カ月かかっていたバージョンアップが約3カ月で完了できるようになりました」(鈴木氏)
AIなどの最先端技術の迅速な導入も可能となり、こうした先進的な手法は今後、日本でも広がりつつあるということだ。
続いて白坂氏は「デジタルによる革新」というテーマで一例を話した。
「デジタルによる革新は、従来の手段では達成できなかった目的をデジタル技術で実現することです。以前はイベント開催時に参加者情報を管理する際はFAXで整理していたが、デジタル化により効率的なデータ管理が可能になりました。しかしこれは、目的がかわっていないので、トランスフォーメーションではない。これまでできなかったことがデジタル技術できるようになることこそがトランスフォーメーションなのです」(白坂氏)
そして、新たに実現可能になった目的に対してデジタル技術を活用するには、目的達成の仕組みも同時に設計する必要がある。そこで求められるのが「ノウハウやアーキテクチャへの理解」だ。
白坂氏は「MicrosoftやSAPのようなテクノロジーパートナーは、技術的な知見やアーキテクチャのノウハウを提供し、企業が目指すべき方向性を判断する助けとなります」と述べ、「企業は自社のビジネス戦略を考えつつ、パートナーと協力し、ITや組織、プロセスのアーキテクチャをセットでデザインすることが、デジタルによる真の革新を実現するカギとなっていくでしょう」と力強く語った。
鈴木氏は「経営者のコミットは必須です」とする。そして現場には、持ち場で技術を有している人材が豊富であるため、「経営層との間を取り持ち、変革をリードする役割が重要になってきます」と述べた。
羽田から、「変革キーマン育成の取り組み」について問われた鈴木氏は、SAPにおける変革キーマン育成の取り組みを紹介した。
「SAPは、デジタル人材の不足を解消するために、ITと業務を理解する架け橋となる人材を重要視しています。SAP自身、データ、プロセス、組織ガバナンスの全体的な変革を目的に、クラウドやAIを活用した変革を進めており、その知見を生かし、変革リーダー育成のための『COO養成塾』を開催しています」(鈴木氏)
これは、SAPが支援する企業のCEOが、受講する参加者を指名し、SAPが参加者に対して月2回ほど実践的な教育を提供するもので、10名ほどの参加者がプログラムに参加し、参加者には自社の変革プログラムを作り上げ、プレゼンテーションすることを求めるものだ。
また津坂氏は、人材育成がAIでどう変わるかという観点で、「マイクロソフトでは、AIを活用した人材育成と業務変革が進んでいます」と述べる。
マイクロソフトが生成AIを全てのプロダクトに組み込むことを宣言した際、最初にその恩恵を受けたのがエンジニアだったようで、「生成AIによりコーディング時間が半減し、エンジニアはよりクリエイティブで価値の高い業務に時間を使えるようになり、職務満足度が向上しました」と津坂氏は説明した。
さらに、津坂氏は「コールセンターや営業、マーケティングといったコーポレート機能でも生産性と収益性向上が実現された」ことに触れ、「AIを利用している部門はパフォーマンスが向上するというデータも出ており、特に日本マイクロソフトでは、グローバルでもトップクラスでCopilotを活用しています」と話す。
「私自身もミーティング前にCopilotでドキュメントの分析を行うなど積極的に利用し、社員にもその重要性を実感してもらっています。これにより、個人の生産性向上からプロセスや事業部全体の生産性向上へと波及し、最終的には顧客により良いサービスを提供する流れが構築されていくものと思います」(津坂氏)
しかし、デジタル技術を価値につなげるためには、単なる技術的なスキルだけでなく、自社のビジネスやアーキテクチャを理解し、デジタル化をどのようにビジネスに組み込むかを考える能力が必要だ。白坂氏は、「そのために、戦術のCOO塾のように、トップダウンで戦略的な方向性を示し、ビジネスと技術をつなげるアーキテクチャの視点を持つアーキテクト人材を育成することが重要です」と言及している。
また、デジタル化の目的を設定し、実現可能性を判断しながらDXを推進できる人材の育成が求められており、「先ほどの津坂氏が紹介した例のように、トップ自身が最新テクノロジーを自ら使うことも重要だと思います」と白坂氏は話した。
さらに、白坂氏は「アメリカに比べ、日本は新しいテクノロジーを取り入れるのが遅れがちであり、これは日本の経営者が高い専門性を持つ一方で、専門家バイアスが働き、新しい情報を受け入れづらいという認知の特性に起因しています」と指摘。そして、この課題を乗り越えるためには、「経営者自身が新しい技術を学び、実際に活用してみることが重要です」と語っている。
最後に、羽田は「これから製造業は、変革を前に進めるためにデジタルカンパニーになっていく必要があります」とし、「そのためにはトップダウンの取り組みと、皆さん個々のスキルアップの両輪で進めていくことが重要だと思います」とディスカッションを締めくくった。
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